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特集「21世紀の母校海星を想う」

「21世紀の母校海星を想う」  44回生(平成7年度卒) 位田 紀行先生 
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 私は本校で数学を担当しています。「教科を如何に教えながら生徒を惹きつけていけるか」を私自身のテーマとしています。生徒には公式や性質といった道具を使って問題を読み解いていくゲーム性が数学にはあるのだと知ってもらいたいと考えています。それと同時に、数学は少し勉強するだけでも簡単に得点がとれる教科なのだと生徒に実感していってほしいと思っています。その為にも、教科指導を通して生徒に数学への興味や探究心を育てていけるように日々の教材研究に私は打ち込んでいます。しかし、教材研究をしていても尽きることはありません。それだけに研究を深めていくときりがない教科なのだと思い、やりがいと充実を感じています。近頃、算数や数学の学力低下が問題になっています。海星の生徒には時代の傾向に流されず、数学を得意な教科のひとつにしてもらいたいと願っています。文系理系に問わず、数学が出来る生徒を育てていきたい。それが私の大きな目標です。


「21世紀の母校海星を想う」 17回生(昭和44年度卒)田中 秀二先生 

 同窓会の皆様、ご機嫌いかがですか。私は海星高校・英語教師として早くも29年、担任を24年間、私のクラスの教え子も約350人を数えます。
想えば、母校海星高校在学当時はサッカー部に在籍し、勉学とサッカーに若い命を打ち込みました。実際にはサッカーばかりだったような気もします。
昭和48年に母校・海星高校に赴任し、今度はサッカー部顧問として暑い情熱を燃やしてきました。新任当時、ある生徒が「先生、勝つッカーを教えて下さい。」と言われたことが忘れられません。夢中で自分なりの勝利のノウハウを伝授した結果、見事、次の試合は私のスタイルで「6−0」の勝利をあげました。私がサッカー指導の醍醐味とクラブを通じた人間関係の素晴らしさを味わい、同じ志を持つ生徒と出会う喜びを痛感したのはこのときです。
 以来、私はサッカー部顧問と英語教師として、夢中で生きてきました。
なかでも、強く印象に残っているのは平成11年度インターハイ県大会決勝戦のことです。教え子の一人で、今は海星高校体育教師でもある青柳先生が率いる海星高校サッカー部と、同じく十数年前の教え子であった海津君が率いる暁高校サッカー部が、晴れの舞台で激突しました。もちろん海星高校に勝ってほしかったのですが、教え子同士が監督として、戦ったことは教師冥利に尽きます。このときほど長い間、サッカー部顧問として尽くしてきたことの幸せをかみしめたことはありません。
 ところで、ご存知のように、本校サッカー部は打倒「四日市中央工業高校」の望みをまだ叶えておりません。この夢は若き顧問の青柳先生に託すとして、現在では私は部長として裏方に徹し、側面からクラブを支えています。
 平成14年度は新人戦ベスト8、県インターハイ予選ベスト4に入賞し、青柳先生のもと着実に実力を蓄えつつあります。来たる10月19日から行われる全国サッカー選手権県予選大会で全国大会初出場をめざし、部員一同一丸となって練習しています。ちなみに日程は次の通りです。ぜひ応援にお越し下さい。 10月19日(土) 二回戦 「上野農業高校」
(11時10分・キックオフ・於・海星高校サッカー場)


「21世紀の母校海星を想う」 16回生(昭和43年度卒)高山敬一郎先生 
 時が立つのは本当に早いもので、私の教員生活は、この4月で31年目を迎えます。20代・30代・40代と年を重ねるたびに少しずつ変わってきた自分を思い出します。忘れもしないのは、海星に就任して2年目の秋、生徒と一緒に文化祭を立ち上げた頃が一番印象に残っています。あの時、西校舎3階端の教室で「文化祭」への思いを聞いてくれた諸君は、もう40代の働き盛りのお父さんになっているのでしょうね。あの時、大学受験を目前に控えながら、龍を作ってくれた諸君も、家族のため社会のために頑張っていると思います。最後の龍の設計図は残っているはずですが、実物は朽ち果てました。懐かしく楽しい想い出の日々でした。30代は陸上部顧問として、7年頑張りました。京都の都大路を海星の選手が走るのが夢でしたが、2時間30分の壁を破ることは出来ませんでした。40代は環境ボランティア部を立ち上げました。海外研修の体験から海星にボランティア精神を復活させたかったからです。この10年の間に阪神大震災もあり、ボランティア活動が注目をあびましたが、部の活動を軌道に乗せるのに苦労しました。「環境」「福祉」「国際交流」をスローガンに環境問題の学習、空き缶や古切手・テレホンカードの回収、施設訪問などを主な活動としました。4年前に四日市南ロータリーの協力によりインターアクト部としての活動が加わり、「国際交流」の活動が強化されるようになりました。ユネスコの世界寺子屋運動の支援を主な目的に「環境ボランティアウオーク」を始め、今年は第4回目になります。5月25日(土)に実施しますので、興味のある方は是非参加してください。ささやかですが、現役の海星在学生と教職員そして同窓生との交流の場になっています。まだ40人前後の参加しかありませんが、将来は海星の大きな行事に成長することを願っています。
 「21世紀の海星に思う」というテーマをいただきましたが、我々を取り巻く環境は厳しく、明確なビジョンを提起できるような状況ではありません。ただ、海星の建学の精神を中心にし、地域社会との関係を大切にすることが重要だと考えています。先に挙げました「環境ボランティアウオーク」のような行事が発展していけば、微力ではありますが、海星の生みの親であるヨゼフ=カラサンスの精神を生かすことが出来るのではと思います。2年前より林先生にバトンタッチして、現在は側面より協力しています。現在は50代に入り、高校3年生の学年主任として学年をまとめ、生徒が笑顔で卒業式が迎えられるように頑張っています。わが海星を取り囲む状況は厳しいと言われますが、一人の教員としては目の前の生徒一人ひとりを大切にしていくことがすべてです。一番苦しい時が、新しく生まれ変わるチャンスということもいえます。50年近くの伝統を生かして、「知恵」をしぼり、「勇気」をもって進んでいけば、「21世紀の新しい海星」が見えてくるのではないでしょうか。

「21世紀の母校海星を想う」 7回生(昭和34年度卒)岩間 央先生 

 昭和39年より奉職させていただき、皆様に支えられて今日まで大過なく勤めさせていただくことができました。この間、感じたことは健康であることの大切さであります。思い出としては、野球部の甲子園初出場であります。楽しみは卒業されていく諸兄への期待であります。現在13,000以上のOBが誕生しております。時折OBの訃報の知らせがありますと、学生時代の姿を想い出しては淋しい思いがします。本校の教育精神をもって、強い精神力、強い身体を維持され、ご活躍されることを望みます。自らも心して頑張っていくつもりです。OBの皆様、母校の益々の発展にご尽力下さいますよう、お願い申し上げます。


「21世紀の母校海星を想う」 23回生(昭和48年度卒)中野清先生 

 21世紀も2年目の春がやってきました。毎年、4月は自分も新入生のように新しい1年を期待と不安でむかえます。特に今年のように校長が変わったりするときは期待の方が大きくなります。同窓生の皆様方も同じように何か新鮮な気持ちになっておられるのではないでしょうか。
 私は「鉄腕アトム」の世代ですから『21世紀』にはすごい期待感を持っていました。実際には21世紀は何ということもなくやってきました。でも、よく考えるとやっぱり「鉄腕アトム」を見ていた時代からは想像もできなかったこと(パソコン、インターネット、携帯電話、DVD等)がたくさん実現しています。あと30年もすればどんなことができるようになっているかと思うと楽しくなってきます。我が母校は21世紀にどんな変化をみせてくれるかも楽しみです。とはいえ、自分がその中にいるからにはひと事のように見ているわけにもいかないわけで、さてどう変化させるべきか、また、何を変えずに残すべきかいろいろ思い悩むところです。同窓会の皆様も21世紀の、また22世紀にむけた海星のすがたにいいアイデアがありましたらお聞かせ願いたいと思います。


「21世紀の母校海星を想う」 41回生(平成5年卒業)上田周平先生 

「思いやりある知的国際人」

 海星の教育が目指す理想の人間像です。言葉というものは、その一つ一つが奥行きと広がりとを持つものですから、この「思いやりある知的国際人」という言葉についても、様々な理解・解釈があるのではないかと思います。そしてまた、様々な理解・解釈が存在しうること、そのこと自体にも意味があるのではないかと思います。
 生徒たちに「思いやりある知的国際人」って、どんな人のことを言うんだろうか? と問いかけることがあります。たいていの場合、生徒たちから返される言葉は
「飛行機に乗って世界中を飛び回るビジネスマン」とか、「英語がペラペラに喋れるような人」とか、「国際機関などで世界の人々のために働く人」とか、そんなふうなものです。もちろん、どれも、「まったくの間違い」ではないと思います。みんな「思いやりある知的国際人」であるかもしれません。
 でも、彼らが「国際人」であることは間違いないかもしれませんが「本当に知的なのか?」「本当に思いやりがあるのか?」という疑問は残ります。もしかしたら全く当てはまらないかもしれません。
 そこで僕はもう一つ、生徒たちにこんな問いかけをします。「ずっと日本にいて、日本語だけを喋ってる人は絶対に国際人じゃないのかな?」と。生徒たちの反応はまちまちです。「絶対違う!」という者もいれば、「う〜ん」と考え込んでしまう者もいます。
 もちろん、僕の答え(これが正しいとは限りませんが)はNOです。
 英語やその他の言語が使えれば、日本語を母国語としない人々とも意志疎通が可能になるわけですから、便利に決まっています。そんなことは言うまでもありません。世界のあちこちへ出かけていけば、様々な人に出会い、様々な文化に触れるわけですから、世界を理解するのに有利なのは間違いありません。
 しかし、日本語しか理解できなくたって、ずっと日本にいたって、「思いやりある知的国際人」にはなれると思います。
 衛星などを使った通信技術が発達したから。インターネットが世界を結んでいるから。もちろん、そうしたことも重要な要素でしょう。しかし、そういった点も実は大したことではないと思います。
 何が一番大切かと言ったら「柔軟な想像力」ではないかと僕は思います。地球上の、実際に自分の目では見ることのできない、人やモノたちに思いを馳せる力です。
 例えば、自分が地球に生きる60億の人類のうちの1人であるということ。
 例えば、自分の一つ一つの行動が地球の環境を変えるかもしれないということ。
 例えば、自分が生きているのとは違う文化のなかに生きている人が大勢いるということ。
 例えば、世界には自分と異なる価値観を持つ人のほうが多いのだということ。
 例えば、自分が贅沢な暮らしをしている瞬間に飢えや渇きで死んでいく子供たちが大勢いるということ。
 例えば、世界のどこかで爆弾が落とされたり、人が殺されたりしているということ。
 こんなことを常に頭のどこかに置いておいて、世界60億市民のうちの1人として、世界を良くするために、少しでも役に立とうと考え、行動する人。そんな人が「思いやりある知的国際人」なのではないかな、と僕は思っています。
 去る9月11日、アメリカでテロが発生し、その後、アフガニスタンではアメリカなどによる報復攻撃が行われました。どちらも、世界中の人々が全て「思いやりある知的国際人」であったなら決して引き起こされることのなかった事件であろうと思います。悲しくも暴力の連鎖で始まってしまったこの21世紀に、世界で最も求められる人材は「思いやりある知的国際人」に違いない、と確信しています。


「21世紀の母校海星を想う」 32回生(昭和59年卒業)藤田勝成先生 

 皆様には日頃から御世話になっております。
 学校を取り巻く環境が年々厳しくなっている中で、現在でもいい生徒がたくさん入学してくれることは、うれしいことだと思います。昔の様に「圧しも圧されもせぬ」海星に復活してもらいたいと思っております。私も卒業生の一人として、現状では少し淋しく思います。
 各々の社会で活躍されている先輩方と共に、私も頑張って参りますので、どうぞ海星のより良い発展の為に御協力を御願い致します。


「21世紀の母校海星を想う」 第18回生(昭和44年度)山口正之先生 

本校を卒業して32年、本校で教鞭を執ること25年。この間、いろんな変遷がありました。
校長先生も、リベロ神父様、マヌエル神父様、イラオラ神父様、モンレアル神父様、ヘルマン神父様 と変わられました。
25年前、教師となったとき周りはほとんど恩師の先生方でした。その恩師の方々も1人減り2人減りと今では数人の先生方しか残っていません。
本校を取りまく状況も大きな変化の中にあります。
卒業生の数も毎年数百人単位で増え、今では、その総数もかるく1万人を超えています。これだけの変遷があるということは本校がまさしく伝統校であるからでしょう。
最近よく思うことがあります。生徒達といろんな事で対峙したとき、自分が高校生の時、先生方はどう考え、どうおっしゃってみえたかと。今までの海星の考え方、やり方はどうであったのかと、よく考えることがあります。この間、海星高校が変化してきたように、世の中も大きく変化し、本校に入学する生徒も大きく変わってきました。それだけに今まで考えられなかったことがよく起こってきます。
そんなとき今までの海星高校はどうであったか、と思い起こすのです。これも本校が伝統校であり、それだけに蓄積があるからだらと思います。
海星高校も今後10年、20年、…と年輪を積み重ねていくわけですが、私もその伝統の蓄積にひとつでもふたつでも関われるよう精進していきたいと思います。
卒業生の皆様、今後とも、本校への暖かいご理解とご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。
 以上


「21世紀の母校海星を想う」 23回生(昭和50年卒業) 林 尚澄先生 

 海星高校同窓会の皆様、いかがお過ごしでしょうか。それぞれ、職場の第一線でご活躍のこととお慶び申し上げます。私、林(旧姓・位田)尚澄も母校で元気に頑張っています。
はやいもので、教職についてから、20数年が過ぎ去りました。現在は高校一年生・進学コース担任をしております。前回の担任グループから、とうとう海星時代の同級生の子息を担任するにつけ、歳月の重みを実感します。私個人としては、自転車に乗り、制服・制帽姿で、塩浜から通学していた時代がついこの間のような気もするのですが。
 さて、社会構造が複雑になり、授業中に携帯電話を使わないよう指導しなければならないほど、先端技術の発展が目ざましく、さらには多様で個性的な価値観が混在する新しい時代を迎えた今日、海星の教育も変化しないわけにはいきません。来年度からは週休2日制や、45分授業の導入、新・学習指導要領の実施など、海星の教育の現場は激しく動いています。今後はこのような変革の新世紀に対応する海星高校を築き上げて、地域教育に貢献していきます。具体的には優秀な生徒を多く確保し、その若く純粋な感性を持つ生徒諸君に海星の建学の精神である「敬神」「愛国」「孝養」と男子校ならではの「たくましい教育」を施すべく全身全霊で努力する所存です。どうか、今後とも温かい目で海星中・高等学校を見守り、力強いエールをお願いします。
また、いつでも母校へお寄り下さい。スクワットなどのよき思い出話も今となってはただ、懐かしいものでしょうし、当時の秘話もお聞きしたいものです。最後になりましたが、皆様の一層のご活躍をお祈り申し上げます。


「21世紀の母校海星を想う」 35回生(昭和62年卒)青柳 隆先生 


21世紀。
野球部だけの活躍でなく、
このメンバーで全国を狙います。
海星高校サッカー部


「21世紀の母校海星を想う」 13回生(昭和40年卒)久志本隆彦先生 

 昭和34年に海星中学校に入学して以来、大学の4年間を除いて約40年間海星にお世話になっています。つまり今迄の人生の大半を、海星で過ごしたことになるわけです。紅顔の美少年(?)だった顔には、深い皺が刻みこまれ、緑の黒髪もロマンスグレーになり、育ての親とも思う恩師の先生方、つまり初期の海星の基礎を築くのに尽力されたリベロ神父様、稲垣先生をはじめ担任をして頂いた青木先生も他界され、世の無常を感じている今日この頃です。
 21世紀に入り様々な分野で技術が発展し、社会構造がますます複雑になり、ものの見方が多様化してきている今日では、高校も従来どおりの教育方針では社会の要請に応えられなくなってくるでしょう。また来年度から、小・中学校の教科内容が30%削減されることになり、6年一貫教育コースを持つ海星としてはかなりの追い風になると思います。しかし、高校のみのコースでは小・中学校で減らされた内容を大学進学の為に補うのは生徒や教師双方にとってかなりの負担になることは間違いないと思います。また、生徒の気質も以前とかなり異なってきています。好きなことには執着するが、嫌なことは辛抱できない。そんな生徒の興味を引くような授業をするには、教師ももっと勉強しなくてはならないでしょう。
 海星の「土台」は先輩の先生方によって築かれたわけですが、その上に建てられている海星は、世の中の変化につれて生徒数の増加、コースの増設といった色々な変化を遂げて来ています。この21世紀の間にどのように変わっていくでしょうか。しかし、その「土台」と土台を支えるカトリック精神という「大地」は永遠に変わることはありません。ともあれ、21世紀の海星高校のますますの発展を祈り、海星の床下の小さな石ころにでもなれたらと思い現在に至っています。


「21世紀の母校海星を想う」 22回生(昭和49年卒業)村山桂一先生 

 海星同窓会の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 皆様方がそれぞれに、ご活躍なさってみえることをお聞きすることは、母校の職員の一員として大変嬉しく誇らしく感じる次第です。
 私は昭和46年に母校にお世話になり、今はなき青木庸一先生の数学に感銘を受けた一人であり、コツコツと問題を解く忍耐力と楽しさを学びました。現在は微分・積分の才子と持ち上げられ恐れられていますが、私も数学的法則の前においては脱帽しなければならないのです。ユークリッドも申しましたが、まさに「数学に王道なし」なのであります。それほど数学とは奥が深く怖いものです。
 毎日人間がその生を保つためにこつこつと食物を得て、こつこつと調理し、こつこつと食するがごとく、数学をこつこつ恐れながら愛する。これが私のモットーであります。最近の生徒は「総合的な学習」にもその力を発揮し、「総合的」に思考し、追究し、発表する力を身につけてきてはいますが、その根底となる基礎・基本事項において徹底していない点は少し残念なことです。
 IT革命においてこれほど情報力が身近に得られ、コンビニエンスを感じつつも、短絡的な生徒を造り出してはならないと、今、改めて、こつこつと「王道なし」と解くのであります。
 どうか、ご健康には留意され、益々皆様の才能に磨きをかけて下さい。皆様のご活躍母校よりお祈りしている次第です。


「21世紀の母校海星を想う」 26回生(昭和53年卒業)湯浅和也先生 

同窓の皆様、お元気でしょうか。今、海星高校を卒業されてどの様な思いをお持ちでしょうか。よかったですか。海星で学んだことはどんなことだったでしょうか。
くだらない質問で申し訳ありません。教育の定義は複雑で多岐にわたります。
ここで、私なりの教育の思いを語りたいと思います。こんな物語があります。
タイトルは世界一の贅沢男。ではまいります。この男世界一の金持ちらしい。
名前はわからない。年齢も不詳。風体と言えばどこにでもいるような平凡な男である。
しかし誰も彼もこの男の素性を知らないのである。まことに不思議である。まるで風か雲のようである。いつ来ていつ居なくなるか誰も気がつかない。
そんな男がある時こんな事を言ったことがある。俺は今日、世間でいう金を100億使ったんだ。みんな呆気にとられている。それも一瞬であとは笑いの渦である。
しかしその男はさらに続けた。本当は1000億でもよかったんだ。明日はどのくらい
使うかわからないな。冗談とも言えぬ顔つきである。「ほう」ため息まじりの嘲笑である。誰かが聞いてみた。「そんな大金どうやって使うんだね」。その男はあたりを見回して
にっこりした。そしておもむろに紙のようなものを懐から取り出した。これは神様から
貰った領収証なんだ。今日の分の明細が書いてあるだ。読んでみようか。
男は大きな声で発表し始めた。そこに居る連中の目が皿になった。朝起きて今日の
始まりに10億。家族の健康に5億。友達の笑顔に3億。美しい花を見て1億。
ランチに5000万。午後の昼寝に500万。さらに続く。読みたかった本を見つけて
1億。早春の光を浴びて10億。世界の平和を祈って30億。2億。3000万。・・・そして最後に神の愛に時価。男は汗をかきながらその発表を終えた。
あたりは静まりかえっている。だれも口を開こうとしない。男はその静寂に向かってこう付け加えた。そのお金は透明で重さがないから持ち運び自由。いくらでも使えるから無限。変な借金取りもこない。まさしく俺は世界一の贅沢男。周りが騒がしくなってきた。
男はいつの間にか居なくなっていた。
どうでしたか。面白ろかったですか。ふざけているのではありません。本題に入ります。
人生は一度きりです。教育(表面)は歴史の流れの中で色を変えてきました。
時の権力者によって都合のいいように操られました。日本でもそうでした。多くの人々が命を失いました。そして21世紀の今また歴史は繰り返されています。悲しいことです。戦争の起因する要素は、宗教、思想、人種ではないでしょうか。これも教育なんです。
個人レベルではなく国家間の対立になれば大変な事になります。 それぞれが(国家)が教育の基準(価値)を持ちその対立構造がその引き金になっています。すべてが正義を主張するのです。そして最後のシナリオは戦争です。教育が悪用されているのです。
教育の本質を考える必要があります。私は世界のすべての人が心豊かに平和を享受できる世の中を造ることが教育の進むべき道だと信じています。皆様はどうお考えでしょうか。優秀な大学に進学させることが高校教育の目的ではありません。知的学習を否定するものではありませんがあくまで方法、手段としてそれを捉えるべきです。進学校は結果を求められます。苦しい立場にあります。でも、海星高校はそれを目指そうとしています。私はそれを誇りに思います。ここで生徒(御大切)によくする話を紹介します。
人生は一度きりです。人は生まれて死にます。これは自然の摂理です。だからこそよりよく生きることを考えなければなりません。世の中は矛盾だらけです。悩み苦しむことが数多くあります。しかし自分を持つことができます。あなたは人生の主人公です。
人生を楽しみましょう。あなたは主演、演出家、脚本家。すべてあなたの思い通りになります。少し勉強して華やかな衣装を身につけることも出来ます。そしてたくさんの人と出会っていろんな経験をすることも人生を充実させます。さあ、生きよう。
同窓の皆様、現実社会の厳しさは相当なものであると思います。頑張ってください。
陰ながら応援しております。たまには海星高校にお寄りください。感謝


「21世紀の母校海星を想う」 25回生(昭和52年卒業)細田拓也先生 

 現在、高校3年生の担任として生徒とともに進路を考える毎日ですが、同時に志を持った新入生が海星にたくさん入ってくることを願って、生徒募集活動にも携わっています。
 日本の教育が、今確かに曲がり角に来ていると誰もが実感しています。海星を取り巻く環境の変化もここ数年は特にめまぐるしく、いろいろなことへの対応に追われる毎日を実感しています。
 間近にせまる週5日制への移行や、新しい学習指導要領の導入は、学校のあり方の本質的な転換を予感させるものです。聖ヨゼフ・カラサンスの学園創立理念を、単なる合い言葉に終わらせず、この日本の地で、またこの時代に、どう具体的に実現していくかがまさに問われています。海星学園の教職員はもとより卒業生も一体となって、21世紀にふさわしい青少年教育のあり方を具体的なヴィジョンとして構築し実践する時が来ているのではないでしょうか。
 海星が海星であることは、単に「公立や他の私立とは違う」と言うことではなく、「海星に確かなものある」ということだろうと思います。カトリック・ミッション男子校として、伝統の上に新たな歴史を創るという気概がOBとしての心構えでもあると肝に銘じています。


「21世紀の母校海星を想う」 33回生(昭和60年卒業)渡邉陽一先生 

海星同窓会の皆様初めまして。海星中高等学校で数学と技術(コンピュータ教育)を担当させていただいています渡邉陽一と申します。昨年度まで特教6年制コースの担任を6年間担当し、今年度新たに特教1年生の担任をしています。毎日生徒たちと数学やコンピュータの学習をしたり、クラブ活動(高校テニス部)で汗をかいたりしています。
現在海星高校は、インターネットを利用した教育や情報社会に対応できる生徒の育成を考えています。情報やコンピュータは、マルチメディアやネットワークの活用によってますます拡大してきています。特に、情報通信基盤の発展により、インターネットの普及、携帯電話等による電子メールの普及は大人だけでなく子供たちにも多く浸透してきており、私たちの生活の中でも身近なものになっています。海星高校においても、インターネットの普及により、情報収集や情報発信等、広範囲に利用されています。学校教育でも、これまで以上に情報教育が重要になると考えられます。今後、英語を中心とした教科の学習にも取り入れられようとしています。本校の生徒も、これからの情報社会の生活するにあたって、その生活をより向上させるために情報や情報技術を効果的に活用したり、適切な判断をしたりする能力を身に付ける必要があります。このような能力の育成は、コンピュータの操作方法や機能の説明に偏らないように注意し、生徒の興味、関心に応じて内容を検討し、改善していく柔軟性が必要になります。私は、生徒がコンピュータを考える道具、表現する道具、コミュニケーションの道具として活用できるように指導し、情報教育を推進していくことを目標にしています。今後も、21世紀における海星中高等学校の発展のため、海星同窓会の皆様のご指導ご協力をお願いいたします。願っています。


「21世紀の母校海星を想う」 9回生(昭和36年卒業)三林泰夫先生 

 父は動物の医者をしていた。父の書斎には横文字のむつかしい書物が並んでいた。小学校の頃、何もわからないままに、専門書をパラパラめくったりしていた。その頃から漠然と外国語に興味を持った。小六の時にNHKの基礎講座を聞き始めた。そのころカトリック教会にテニアン神父さんがいて、よけいに英語を含めて、アメリカという国に興味をおぼえた。 四日市に海星という高校があり、外国人の神父さんが英語を教えてくれるということを聞き、迷わず海星を選んだ。
 21Cの海星は、あの当時のように社会が、子供が一番望んでいるものをさきどりし、提供することが大切である。 海星が地域社会をリードする学校として、きらきら輝く学校でありつづけてほしいと願っています。


「21世紀の母校海星を想う」 16回生(昭和43年卒業) 早川雅章先生 

海星高校に社会科教師として奉職して、早いもので23年+2年になりました。
+2年というのは、最初の一年間は講師であり、また平成9年度は三重大研究生として 職場を離れていた関係です。
 この間、主に世界史を担当してきましたが、たまたま学校の前が旧東海道であったことから、有志生徒と共に「海星高校歴史研究会(同好会)」を創設し、昭和56年(1981)から、街道の道標・常夜灯及び民家調査に携わるようになりました。
その関係から、追分自治会に『追分の大神宮大鳥居建立及び改造資料』が保存されていることを知り、平成3年(1991)からは大鳥居資料の解読を中心に進めてきました。
未熟ではありますが、平成5年(1993)には会報NO,1『日永の大神宮大鳥居資料目録・資料集』を出版し、その後『資料集NO,2』を平成8年(1996)、そして今年(2001)5月ようやく『資料集NO,3』が刊行できました。
 地味な活動にも関わらず、努力を惜しまなかった生徒諸君に深く感謝すると同時に、後輩がこの成果を継承してくれることを祈っています。
 個人的趣味は多い方ですが、もっとも長く続けていることが居合道です。居合というと抜く手も見せぬ早業と思いがちですが、「相手に居合わせる」ことが居合の本質で、いかなる場合でも対処できる心構えとそれを裏付ける技の修練が目的です。本身の日本刀を身体に同化させる一瞬は、他の何にも代え難い緊張感があります。来年(2002)の七段受験を控え、静と動が一体化する居合を目指して精進するつもりです。
 『大神宮大鳥居資料』及び「居合道」に関して興味をお持ちの方は、海星高校へご連絡ください。


「21世紀の母校海星を想う」 25回生(昭和52年卒業)玉木英明先生 

海星同窓会の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 月日のたつのは早いもので、私たちの世代が親になり、その子供たちが海星に入学してくる時期を迎えました。海星のオープンスクールなどで、海星出身とみられる父親が、「あれが修道院でこの体育館は東京オリンピックの年に建設されたもので…あれれ?お父さんの時代にはこんな建物はなかったぞ。」などと、誇らしげに子に語りかけている姿に出会うと、実に嬉しい気持ちになり、さらには海星の歴史の深さに改めて感慨深くなります。特に私の学生時代から懇意にしていた方たちに「とにかく、たのみますよ。」と握手と共に御子息を託される瞬間は、その責任の大きさに緊張し、さらには私たちが信用され期待されているという使命感に嬉しくもある瞬間です。
 私たちが海星に生徒として在籍していた頃から現在に至るまで、日本の社会とその中でいきていく人達の概念は、随分変わってきました。子供たちにとっては「どこにでても恥ずかしくないように」から「社会に大きく貢献する」ことを、また「大学に受かるように」から「社会で活躍するための知識を身につけるために」へ、「謙虚さと調和」から「周囲を率いてゆく行動力」へと、子供たちが社会からもとめられることは、より難度の高いものへと変化していきました。
 しかしそれと共に、周囲と比較し、がむしゃらに人間の能力と肩書きだけを追求することが、本来の人間形成の目標でないことに、ようやく日本人も気がつき始めました。繁栄と高い経済力を維持しつつ、「人間らしい」「豊かな心」「家族」とは何であるかを余裕をもって考えられる、さらに高度な知性と心をもった次の世代の人達の登場が必要な時期を迎えました。
 学力最優先の子供たちと、経済力を維持するために夜まで働き続ける日本の親たちが、夕食の団欒を共に楽しめるようになる社会、豊かな人間どうしの交わりを心ゆくまでたのしめるような社会、そんな社会をつくりあげていく人達の養成こそ、海星の21世紀の使命であると確信するのです。
 この4月、私の愚息も海星に入学いたしました。


「21世紀の母校海星を想う」 29回生(昭和56年卒業)中瀬修介先生 

 同窓会の皆様におかれましては、益々のご健勝のこととお喜び申し上げます。私が 縁あってこの海星高校に勤務させていただくことになって、はや十数年が経とうとしています。その間、海星高校の内外では色々な出来事があり、それらの出来事に伴い 海星高校も大きな変化を遂げたように思います。
 その変化の一つの例として、海星高校の基礎を作り上げてきた先生の多くが、定年退職され、それを受け継ぐ若い先生が増えたことがあげられるのではないでしょう か。私達のようなまだまだ経験の少ない若輩者が、これから色々な経験をする中、迷ったり、悩んだりした時、今まででしたら教育のベテランであり、又恩師でもある先生方にすぐに相談することができました。しかし、世代交代が進む中、それがだんだんできなくなってきています。このような時期にあたって、同窓会の皆様のアドバイスが海星高校の発展に今まで以上に重要になってきているということは言うまでもありません。
 ここ数年、同窓会会長の小林秀輔氏を中心に同窓会活動が活発になり、同窓会と海星高校との結びつきがますます強くなってきているように思います。これは私達教員にとって、とても心強いことであり、これからの海星にとって必要不可欠のことだと思います。
 21世紀の海星高校は、卒業生・在校生そして教員が一体となって発展していくものと信じています。どうかこれからの海星高校の発展のため皆様のお力添えをお願いします。


「21世紀の母校海星を想う」 37回生(昭和64年卒業)高田光栄先生 

 皆様初めまして。母校である海星に、縁あって勤めさせていただいている高田光栄(みつなが)と申します。教科は英語で、13年度の現在高校進学コース2年生と3年生を担当しております。大学での専攻は英語科教育、その他英米思想や英語学などを少しかじりました。
 
 この場では、最近私が学校で参加している活動の中から見た学園について述べさせていただこうかと思っております。それは聖歌隊の活動です。夏までは、宗教部という業務の、裏方役中心だったのですが、恩師である辻先生にそそのかされて(?)、軽い気持ちで歌い始めてみたのが始まりでした。今では練習はほぼ毎日、昼休みに有志の先生がたと生徒たちで、辻先生を中心に続けています。海星はカトリック系のミッション校ですので、クリスマスや卒業式などを中心に、式典が含まれる行事において、聖歌隊が歌って場の雰囲気を作ることがあるわけです。ただ男子校ということで、ミッション色にあまりなじめない生徒たちに白い目で見られているかなと感じることもありますが、外から見ているよりは、参加しているほうがずっと面白いと思います。
 個人的には、特に四声合唱のハーモニーの美しい曲が好きで、すごく長い上に展開が速くて大変なものもあるのですが、それだけに皆で何十時間も練習を重ねた後、ビシッと全パートで合わせられた時の気持ちよさは格別です。昼休みを中心に毎日のように練習するのは、その難しい曲を覚えた、歌いこなせたという征服感や達成感のためだと言ってもよいでしょう。ちなみに、私はクリスチャンではありません。実は聖歌隊の構成メンバーの多くも信者さんではありません。ベテランの渋い先生もキレイな女の先生もみえますが、多くの方は純粋に音楽的な興味で参加していただいているようです。参加してくれている生徒も含め、皆さんが合わせられる時間が少なく、大変な面もありますが、全体としては楽しんで活動しています。 辻先生がリードされるこの聖歌隊が、きちんとした形で活動を始めたここ数年のことですが、海星が、2世紀を迎えて今後もカトリック校としてあり続けるのであれば、聖歌隊の歌もそのシンボルのひとつとして、末永く存続させていっていただけたら、と願っております。学校の魅力を増すために、学校の差別化・個性化が叫ばれています。海星につきましては、ヨーロッパ的な上質な学校の雰囲気をつくり出すために、聖歌隊や宗教部の活動に、今後とも今まで以上のご理解をいただけますようお願いして、この場を締めくくらせていただこうと思います。


「21世紀の母校海星を想う」 20回生(昭和47年卒業)沢村弘行先生 

 6年前、生徒会顧問の私のところへ高1の生徒が3人やってきて「バレーボール部をつくりたいんですが。」と申し出てきました。最初は「顧問の先生もいないし、体育館は他のクラブでいっぱいで場所もないから無理だ。」と、説得しようとしましたが、あまりにしつこく何度も申し出てくるので、ついに私のほうが根負けし、いつのまにか私が顧問になってバレーボール同好会を作ることになってしまいました。私はバレーボールの経験はありませんでしたが、幸いその3人の中に中学のとき北勢選抜に選ばれた生徒がいたので、その子を中心に練習が開始され、何とかお願いして他校との練習試合も行うことができました。そして本年度からは念願であったバレーボール経験者の教師が顧問になり、現在、厳しい練習が日々行われております。近いうちに県のベスト8、いやベスト4に名乗りをあげる日も遠くないと思います。卒業生の皆さん、21世紀の海星バレーボール部の活躍にご注目ください。


「21世紀の母校海星を想う」 29回生(昭和56年卒業)清水達也先生 

 皆さん元気ですか。社会科の清水です。今は写真部の顧問として生徒とともに活動しています。自分自身も写真は好きなので時々撮影に出掛けますが、学校で生徒の写真を見せてもらうといつも新鮮で驚かされます。生徒の感覚は非常に斬新で、レンズを通して見る世界がおもしろいです。最近の高校生は元気がない、とよくいわれますがクラブの生徒や三重県の高校が集まって開く展覧会での作品を見ていると、その若さのパワーとしゃれた感覚がすばらしく、元気のあるのがよく分かり、大丈夫どころか新時代をしっかり築いていくような力を感じます。これからもそうした生徒たちの新しい感覚を大切にしながら母校の海星で私もしっかり頑張っていきたいと思っています。いま写真部は“写真甲子園”という全国大会にむけて作品づくりに取り組んでいます。3年前に一度、近畿ブロック代表に選ばれ出場したので今年も出場をめざして頑張っています。今年は“ふるさと”をテーマに各学校が生徒3人でチームを組んで8枚の組み写真をつくり応募します。新しい感覚をどんどん取り入れて生徒も頑張っています。是非応援してください。
 話は変わりますが、最近すっかり映画にハマッています。時間を見つけては映画館に足を運んでいます。学校の職員室では物理の伊藤仁先生たちと映画談議をしています。最近は少しマイナーなアジアやヨーロッパの映画や日本の映画を見るために名古屋に出掛けることが多くなりました。アメリカ映画では感じられない味わいがあり、最近のひそかな楽しみです。みなさんもいい映画があれば教えてください。


「21世紀の母校海星を想う」 45回生(平成9年卒業)高田篤先生 

初めまして同窓生の皆様。今回一番手でホームページに掲載させていただきます高田篤と申します。
私はこの春から国語の教師として海星高校に戻って参りました。どうぞよろしくお願いします。
さて今回のテーマ「21世紀の母校海星を想う」ですが、最近生徒数の減少という事が深刻な問題となってきていて私も非常に気になっている所であります。もちろん自分が勤めている所だという意識だけではなく、自分の母校が深刻な問題を抱えているという気持ちがほとんどです。確かに在学中は男子校ということもあってか、あまり好きだとは思いませんでした。しかし卒業し少し違った角度から海星を見たとき、やはり母校海星は良いもんだと思いました。この気持ちをこれから海星を巣だっていく生徒たちもきっと持つであろうと思います。ですから21世紀の海星が昔と変わらない良さを持ち続ける為にも、先ずは海星がここに存在しつづけなくてはなりません。そのために何ができるかは私にもまだわかりませんが、きっとどこかに答えがあると信じて微力ではありますが、海星出身の教師として海星の未来のために日々の教育活動に全力でぶつかっていきたいと考えています。そして海星が21世紀という時代を生き抜く御手伝いができればと考えています。